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編集委員会からのお知らせ:2022年10月号海外文献紹介

Insulin signaling in the long-lived reproductive caste of ants.

Hua Yan, et al.
Science.
377: 1092-1099 (2022).

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36048960/

 酵母、線虫、ハエ、マウス、キリフィッシュなどの比較的短命なモデル生物が老化研究をこれまで発展させてきた一方で、新しいモデルを用いる研究も広がりを見せています。その流れは大きく2つあるように思います。一つは近縁種に対して外れ値的に長寿となる生物種のサンプルを用いて、長生きに相関する事象を抽出する研究です。ニシオンデンザメ、ゾウ、ブラントホオヒゲコウモリ、ベイマツ、アイスランドガイ等を用いる研究が含まれます。もう一つの流れが真社会性動物を用いた研究です。ゲノム同一性が強いがカーストが明確に区別される同一空間に居住する集団内で、生殖機能が分業として与えられた王と女王がなぜ他のカーストより圧倒的に長寿になるのかを探ります。多くのハチ、カリバチ、アリ、シロアリの種やハダカデバネズミ等が用いられる研究です。ヒトを含めた真核生物の主流は繁殖と生存はトレードオフの関係でこれらとは逆の傾向があるのですが、生命が進化上で長寿を発展させてきた機構を探る上で興味深い研究対象となっています。
 今回筆者たちはアリのHarpegnathos Saltator種を使って女王の長寿の機構に迫りました。この種ではコロニーで一匹のみ存在する女王が死んだときに、ワーカーのカーストから1匹のみ新しく女王に近い状態に分化し、卵を産むなどの性質を新たに持ち得ます。その際には寿命もワーカーの平均7か月から、女王の平均4年へと移り変わります。ワーカーとワーカー由来の偽女王のRNA-seqの比較より、偽女王の脳でインスリン産生が上がることを確認しました。インスリンは多くの生物種で成長と生殖に必要とされるシグナルですが、過剰なシグナルが老化を早めることも多くの報告があります。意外なことに、過剰生産にも関わらず、偽女王の組織ではインスリン下流のうち、Akt経路が抑制されていました。説明し得る機構として、偽女王の卵巣ではlmp-L2というインスリンの機能を抑制する分泌タンパクの発現が増えていました。Imp-L2はインスリン下流のうち、Akt経路を選択的に抑制する一方で、卵産生に重要なインスリン下流とされるMAPKのレベルには影響しませんでした。一度取り除いた本物の女王をコロニーに戻すと偽女王はワーカーに再び分化し寿命も元に戻ります。この際にインスリンとImp-L2の両方が元のレベルに戻りました。以上から、インスリンのような成長や繁殖に必須だけれども老化を進めてしまうシグナルの下流の一部を特定組織で抑えることが、繁殖と寿命のトレードオフを女王が回避できているメカニズムではないかと筆者らは推定します。
 以前にはミツバチの女王の分化に重要な成分が寿命延長に寄与することは報告されました(Kamakura et al., Nature 2011)。しかしその後の研究でこの物質が他の種でのカースト分化や老化抑制に寄与するような普遍性はほぼないことがわかっています。今回の発見が他の生物にそのまま転用されることもほぼないと思われます。提唱する機構の傍証も多くは提示されていません。しかし成長や繁殖という生命に必須な機能を犠牲にしなくとも長寿化が分子機構上可能であることを示した本研究は、老化を副作用の少ない形での制御を目指すコミュニティにとって福音であり大いに勇気づける知見となることでしょう。
(文責:伊藤孝)

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